3.3 「学習」の正体―過去データの応用

AIについて語るとき、必ずと言っていいほど「学習」という言葉が使われます。「現代のAIは、人間と同じように自ら学び、日々進化している」──そう聞くと、まるでAIが机に向かって教科書を読み、新しい知識を熱心に吸収して、内面的に成長しているかのような生命的なイメージを抱いてしまいます。

しかし、AIにおける「学習」の正体は、私たちが学校で行うような精神的・知的な成長とは全く異なる、きわめて無機質な「数値調整のプロセス」にすぎません。

AIの学習(機械学習や深層学習)とは、専門的な表現を借りれば「大量のデータを与え、正解とのズレ(誤差)が最小になるように、プログラム内部の何千億個もの数式のパラメーター(重み)を自動で書き換えていく作業」を指します。

これを分かりやすい例で例えるなら、ラジオの「選局つまみ」を最もノイズが少なく、音がきれいに聞こえる位置(=正解)に合わせて、ミリ単位で微調整していくようなものです。AIは、人間が用意した膨大な過去データを使って、この「つまみの微調整」を何兆回、何京回と繰り返します。

その結果として、新しく見たことのないデータ(入力)が与えられたときにも、まるで人間が考えて選んだかのような、最もそれらしい答え(出力)を返せるようになるのです。

つまり、AIの学習とは「過去の傾向を極限まで分析し、それを未来の予測に応用する」という統計的な最適化にすぎません。ここに、「深く理解した」という納得感もなければ、「学ぶことが楽しい」という知的好奇心もありません。

したがって、AIの学習には、以下のような決定的な限界が付きまといます。

  • 過去にない「未知の事態」には無力である:AIは過去のデータの延長線上でしか答えを作れません。そのため、歴史上誰も経験したことがないような突発的な大恐慌や、全く新しいルールのスポーツ、あるいは前例のない未知の感染症が起きたとき、AIは過去のデータをいくら応用しても正しい答えを出せなくなります。
  • 「ひらめき」や「自分なりの解釈」が生まれない:人間の学習は、得た知識を自分の人生経験や価値観と結びつけ、「私はこう思う」「この知識を応用して、あんな新しいものを作ってみよう」という独自の解釈やひらめきを生み出します。しかしAIの学習は、与えられたゴール(目的関数)に対して数値を適合させるだけです。そこから自発的に脱線し、新しい意味を発明することは構造上不可能です。

このように、AIの「学習」という言葉は、人間の知的な営みに擬せられた大きな誤解を生みやすい表現です。その本当の姿は、人間が用意した「過去の足跡」という地図をコンピューターに叩き込み、その地図の通りに歩く練習を高速で繰り返させているだけなのです。

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