2.2 情報保持能力とその限界

コンピューターが人間をはるかに凌駕しているもう一つの圧倒的な能力が、「情報保持能力」、すなわち記憶力です。

現代のコンピューターやサーバーは、テラバイト(TB)やペタバイト(PB)といった、個人の一生では到底使い切れないほどの膨大なデータを保存することができます。国立国会図書館にあるすべての蔵書をテキスト化しても、最新のデータセンターのほんの一角に収まってしまうほど、その容量は桁外れです。

しかも、コンピューターの記憶には、人間のような「劣化」がありません。

私たち人間は、どれほど強烈な経験であっても年月が経つにつれてディテールを忘れてしまったり、記憶が都合よく書き換わったりしてしまいます。しかし、コンピューターは「保存(セーブ)」されたデジタルデータを、1年後であっても10年後であっても、1ビットの狂いもなく、当時のままの形で正確に呼び出すことができます。忘却もしなければ、思い出せなくてド忘れすることもない──この「大容量」と「正確さ」こそが、AIの学習を支える大前提となっています。

しかし、これほど完璧に見えるコンピューターの情報保持能力にも、本質的な限界が存在します。

最大の限界は、コンピューターは記憶している情報の「重み」や「価値」を全く理解していない、という点です。

たとえば、人類の歴史を揺るがした大哲学者の思想書も、インターネットの片隅に転がっている無意味な誹謗中傷の書き込みも、コンピューターにとっては全く同じ「ただのデータ(0と1の羅列)」にすぎません。1,000冊の本の全文を完全に記憶できたとしても、その本が読者にどのような感動を与え、どのような社会的価値を持つのかを、コンピューター自身が評価することはできないのです。

また、コンピューターは記憶の「優先順位」や「意味のつながり」を、自分の意志で整理することもできません。

人間は、過去の記憶を自分の経験や「感情」と結びつけ、「あの時は嬉しかったから大切な思い出として残そう」「あれは失敗だったから教訓にしよう」と、人生の文脈に合わせて立体的に記憶を再構成します。しかし、コンピューターにおける記憶とは、指定されたフォルダやアドレスにデータをただ機械的に格納しているだけです。

さらに言えば、保存された情報が「正しいかどうか」を自ら検証する能力もありません。

間違ったデータや、悪意のあるフェイクニュース、あるいは時代遅れになった古い情報であっても、コンピューターにとってはすべて等価値のデータです。それらを鵜呑みにしてAIが学習してしまえば、そのまま間違った答えを出力することになります。

このように、コンピューターの情報保持能力は「量」と「不変性」においては神がかり的ですが、その情報に「意味」や「倫理的な価値」を与えるという点においては、人間の曖昧で不完全な脳に遠く及ばないのです。

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