2.5 「完璧な記憶」と「忘れることができる人間」の差

コンピューターは、与えられたデータを1ビットの狂いもなく、永遠に「完璧な記憶」として保持し続けることができます。これに対して私たち人間は、昨日食べた昼食のメニューすら怪しく、大切な記念日を忘れては叱られるような、きわめて不完全で「忘れる生き物」です。

一見すると、忘れないコンピューターの方が圧倒的に優れているように思えます。しかし、認知科学や脳科学の視点から見つめ直すと、この「忘れることができる」という人間の弱さこそが、実は人間にしか到達できない「高度な知性」や「抽象的な思考」を生み出す源泉になっていることが分かります。

人間の脳が「忘れる」というのは、単にデータが消去されていく受動的なバグ(欠陥)ではありません。それは、脳が膨大な情報の中から「本質的なものだけを抽出する」ために行っている、きわめて能動的で知的なフィルタリング作業なのです。

たとえば、私たちが「犬」という概念を理解するとき、これまでに出会った何百匹もの犬の、毛の本数や鳴き声の正確な周波数、出会った日時のすべてを完璧に記憶しているわけではありません。むしろ、そうした個別の細かいディテールをほどよく「忘れる」からこそ、「四足歩行で、ワンと鳴き、毛が生えている動物」という共通の特徴だけを抽出し、「犬」という抽象的な概念を頭の中に形作ることができます。

一方で、コンピューターや初期のAIは、すべてのデータを等価に、完璧に記憶してしまいます。

すべてのディテールを記憶しすぎる機械は、少しでも条件が違う(たとえば、毛の色が少し違う、見たことのない角度で座っている)だけで、それを「犬」だと認識できなくなる現象に陥りやすくなります。これを専門用語で「過学習」と呼びますが、完璧すぎる記憶が、かえって「応用が利かない」という致命的な弱点を生んでしまうのです。現代のAIは、この弱点を克服するために統計的な処理を行っていますが、それは人間のように「自然に忘れる」のではなく、「大量のデータでノイズを薄める」という力技の計算によって補っているにすぎません。

さらに、「忘れること」は人間の創造性や感情のコントロールにも直結しています。

人間は、過去のディテールを曖昧に忘れていくプロセスの中で、残された記憶の断片を脳内で勝手に結びつけたり、勘違いしたりします。この「記憶の曖昧な混ざり合い」こそが、突飛なひらめきや、新しいアイデアという創造性を生み出す土壌となるのです。また、悲しい出来事や失敗の記憶が時間とともに薄れていく「忘却」があるからこそ、私たちは精神のバランスを保ち、前を向いて生きていくことができます。

もし、すべての記憶がいつでも直近の出来事のように鮮明に再生される「完璧な記憶」を持っていたら、脳は情報の洪水でたちまちパンクしてしまうでしょう。

コンピューターの記憶は「不変の記録」ですが、人間の記憶は「生きるための変化」です。完璧に記憶する機械と、ほどよく忘れることで本質を見出す人間。この差があるからこそ、AIはどれほどデータを詰め込まれても、人間のような「大局的な判断」や「概念化」という本当の知性に追いつくことができないのです。

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