AIが私たち人間よりも圧倒的に「優れて見える」最大の理由は、何と言ってもその「処理速度」の違いにあります。
私たち人間が一度に意識し、処理できる情報量には物理的な限界があります。本を読みながら同時に複雑な計算をし、さらに別の作業の段取りを考えるといったマルチタスクは、人間の脳にとって極めて困難です。しかし、AIのベースであるコンピューターは、同時に数千、数万、あるいはそれ以上の処理を並列して実行し、その中から最適な答えを瞬時に導き出すことができます。
この高速処理の利点が最も分かりやすく発揮されるのが、明確なルールがあり、膨大な選択肢が存在する場面です。
たとえば、チェスや将棋、囲碁といったゲームの世界がその典型です。人間であれば数手、あるいは数十手先を必死に読むのが限界ですが、AIは次の瞬間にあり得る何百万通りもの盤面を瞬時にシミュレーションし、勝率が最も高い「次の一手」を弾き出します。あるいは、工場の複雑な生産ラインの最適化、都市全体の交通渋滞の予測、膨大なレントゲン写真からの微細な病変の検出といった場面でも、AIのスピードと効率は、人間の長年の直感や熟練の経験をあっさりと上回ってしまいます。
このような場面に直面したとき、私たちは思わず「AIは人間よりもはるかに賢い知性を持っている」と圧倒されてしまいがちです。
しかし、ここで私たちが忘れてはならないのは、AIがそこで見せているのは「賢さ」ではなく、単に「圧倒的なスピードによる、量の圧倒」であるという事実です。
人間が、物事の「意味」を深く吟味し、あれこれと思索に耽ることで1つの結論を出すのに対し、AIは意味など考えず、ただ猛烈な速度で計算の選択肢をすべて潰しているにすぎません。大量の情報を短時間で処理できることは、道具として確かに計り知れない強みですが、それは「深く考える力」とは全く異なる種類の能力です。
AIの高速処理とは、言ってみれば「超高性能な計算のブルドーザー」です。人間がシャベルで何日もかけて掘る穴を、ブルドーザーは数秒で掘り起こしてしまいます。そのパワーとスピードに驚くのは当然ですが、だからといってブルドーザーがシャベルより「知的だ」とは誰も思いません。
AIが人間より優れて見えるとき、私たちはその「速度」という圧倒的な物理的パフォーマンスに目を奪われ、知性の質そのものが優れていると錯覚しているにすぎないのです。