4.3 ニーチェ(Nietzsche)のような思考は可能か

19世紀の哲学者フリードリヒ・ニーチェは、「神は死んだ」というあまりにも有名な言葉を残し、それまでのキリスト教的な道徳や、社会の「常識」とされていた価値観を根底からひっくり返しました。自らの健康の苦しみや、孤独な人生と壮絶に向き合いながら、既存のシステムを激しく疑い、新しい生のあり方を叫び続けたその思想は、今なお人類に強烈な刺激を与え続けています。

では、現代の、あるいは未来の超高性能なAIに、「ニーチェのような、時代を震撼させる独創的な思想を生み出すこと」はできるのでしょうか。

答えは極めて明確です。絶対に不可能です。

もしAIに「ニーチェのような文体で、現代社会のSNSの病理について論じてください」と指示すれば、AIは瞬時に、それらしいシニカルで破壊的なトーンの文章を紡ぎ出してみせるでしょう。しかし、それは学習データの中にある「ニーチェの著作の言葉遣い」や「論理の組み立て方(パターン)」を器用に拝借し、SNSという新しいキーワードに当てはめただけの「文体のモノマネ」にすぎません。

ニーチェのような本物の思考が生まれるためには、過去のデータの蓄積ではなく、全く異なる「3つの前提」が必要となります。

  • 「人生」という痛みの伴う実体験:ニーチェの思想は、彼自身の肉体的な苦痛、社会からの孤立、愛の挫折、そして死への恐怖といった、生々しい「生(せい)のディテール」から絞り出されたものです。AIには肉体がなく、人生がありません。苦悩も、歓喜も、退屈も、絶望も知らない機械が、人間存在の根源を問い直すことなどできるはずがないのです。
  • 「常識(データ)」を自ら否定する主体性:AIは、過去のデータを大量に読み込むことで「最も確率的に正しいとされる常識の平均値」を出力する機械です。一方で、ニーチェのような思想家が行ったのは、その「データの蓄積(常識)」そのものを「くだらない、間違っている」と自らの意志で全否定し、破壊する営みです。データの枠組みの中に閉じ込められているプログラムが、その枠組み自体を内側から疑うことは構造上不可能です。
  • 「問いそのものを立てる」という出発点:AIは、人間が「問い」という弾丸を込めて引き金を引いて初めて、その「答え(出力)」を計算する受動的な装置です。しかし、哲学的な思考の本質とは、世の中の誰もが当たり前だと信じ込んでいる状況に対して、「本当にそれでいいのか?」という新しい「問いそのものを発明する」行為にあります。

AIが出力できるのは、どこまでいっても「過去に誰かが語ったことの再構成」の範疇を出ません。

ニーチェのような思考には、自らの有限な命と対峙し、世界に向けて全く新しい視点を切り開く「生きている主体」が必要です。AIは、ニーチェの言葉を100万回再生することはできても、新たなニーチェになることはできない。なぜなら、思想とはデータから自動生成されるものではなく、血の通った人間の「生きる苦闘」そのものからしか生まれないものだからです。

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